今日の午後は,市連合音楽会でした。
市内の小学校の子どもが集まって,合奏や合唱を発表します。

子どもの多かった頃は,6年生だけの参加でした 。しかし,子どもが減ってきた近年は,5年生も参加します。本校は,5・6年生が参加しました。

この市連合音楽会ですが,賛否両論がいろいろあります。
主な賛成意見は,
「会館の大ホールのステージで発表できるという経験は滅多にできない」
「他の学校の発表を聞くことは,鑑賞の学習に通じる」
などです。

しかし,反対意見もあります。
「1つの曲を作り上げるのに時間がかかりすぎる」
「自分たちの発表は数分で,後は聞くだけに終わる」
などです。

どこに教育的な価値を置くかで,実施の意味も違ってくると思います。

ここからは,私的な私個人の考えです。
音楽の教育的価値は,音楽を体全体で感じ,それを表現することです。
そして,多様な音楽経験をすることです。

前者は,音楽と身体の関係における価値です。
後者は,音楽経験における価値です。

表現するためには,感じる感性が重要です。
それを育むことが音楽の大事な教育的価値だと考えます。

そして,大切なことは,その感じ方です。
頭で感じる…,それは大人的な感じ方で,子どもたちは身体で感じることが大切です。
なぜなら,大人よりはまだまだ身体の感性が鋭いからです。
その時期に,身体の感性をより高める指導が,小学校の子どもたちには適しているのです。

また,今日のような発表を1つの目標とすると,その練習に明け暮れることになりがちです。
大抵の場合,運動会の学習をしている9月から。難しい曲の場合,1学期からというようなこともあります。

これでは,子どもたは,1つの曲しか体験できないことになります。
もちろん,1つの曲を時間をかけて仕上げることに,教育的な意味がないわけではありません。
問題は,この教育的な意味と,多様な音楽を体験することの価値との比較です。

今日,いろんな学校の発表を見て,以上のような意味や価値を,音楽表現や音楽体験にきちんと置いているか,と問い直したくなりました。  

 
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