教育実践研究所「EduPrac」服部英雄のブログ

授業研究、生徒指導、学級経営、子育てなど教育実践全般についてのブログです。

授業技術

3年生国語『きつつきの商売』

3年生では、最初の教材が、『どきん』という詩教材です。
楽しく音読しつつ、レトリックでは「オノマトペ」の学習をします。

そのオノマトペがどうしていいと感じるのか、他のものではダメなのかということを、子どもたちに考えさせたいものです。

そして、最初の本格的な教材と言えるのが、物語教材『きつつきの商売』です。
今回、その授業に際しての「授業づくり」を指導案から紹介したいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「きつつきの商売」は,森で生きているきつつきが,自分にぴったりのお店「おとや」を開くことからお話が始まる。そして,野うさぎにぶなの音を,野ねずみの家族に雨の音をそれぞれ売るという,二つの場面で構成されている。語り手のきつつきやお客さんに対する優しいまなざしは,それぞれの行動描写や会話表現に表れており,読者を温かい気持ちにさせる。  

このようなお話を読んでいくとき,子どもたちは,登場人物の言動や様子から,また,その時の音の表現から,森の中にいるような気分になるだろう。その意味では,まさに言葉による森林浴である。しかし,語り手の視点が三人称客観してんであることから,きつつきに同化したり,お客さんに同化したりすることは困難である。そこで,登場人物の様子や言動を,比較的客観的にイメージ化して読むことになるだろう。

あえて,同化ということを考えるのであれば,それは語り手への同化である。従って,これまで,登場人物になり切ってイメージ化を行なってきた子どもたちにとって,なり切るという方法が使いにくいということは,イメージ化も難しくなってしまう。  

そこで,イメージを豊かにするため,「意味のレトリックから構成のレトリック」を中核に据えて,単元を構想することにした。「意味のレトリック」としては「修飾語」や「オノマトペ」を,そして「構成のレトリック」としては「倒置法」「省略法」などを活用することができる。

さらに,今回「構成のレトリック」の「パスティーシュ」を具体的方法として用い,書く活動に導くことを構想した。つまり,『バスティーシュの認識や思考が,イメージを豊かにしながら関連的なものの見方・考え方を促し,「書くこと」の表現力に有効性をもつ』という仮説を設定したのである。  

具体的には,パスティーシュ思考・認識を起動させるために,作品本来の表現や文体をまねるという活動を位置づけた。そして,まねて「おとや」の別のメニューのお話を書くというテーマを設定した。このお話を書くためには,もとの作品の中で「まねたい表現」「いいなぁと思う表現」を見出さなければならない。つまり,バスティーシュ思考を発揮して,作品自体をイメージ豊かに読まなければならないのである。ここに至って,読むことの必然性が生まれ,書くことへの表現に,子どもの意識が流れていく。  

指導に際しては,子どもの学びの文脈に即した活動の流れを『「おとや」をひらこう−「おとや」のメニューをふやそう−「おとや」を完成させよう』と,設定した。  

学習の導入となる『「おとや」をひらこう』では,きつつきが始めたお店である「おとや」について知ることが主な学習活動となる。これは,作品を通読して,お話や登場人物を大まかに把握することにつながる。そして,学習全体の見通しを持ち,子ども一人一人が自分のお話に必要な表現を選んでいく。  

次に『「おとや」のメニューをふやそう』では,全活動で個人で見出した表現を交流しながら,その表現の良さを読み深めていく。このとき,子どもたちはバスティーシュ思考やレトリック認識を活用しながら,イメージ豊かに読み深めていくだろう。  

学習のまとめとなる『「おとや」をかんせいさせよう』では,これまで学習してきたことをもとに,自分だけのメニューのお話を書いていく。そして,作品自身の2場面とつなぎ合わせて『わたしたちの「おとや」』を完成させるのである。このとき,子どもたちのイメージは,レトリック認識を通して読むことから書くことへと展開していくのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
ランキングに挑戦しています。
いつもクリックありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。 

一人学びと一斉学習

授業でより深い学びを子どもたちに保証するのに、一人学びは欠かせないと考えています。
そして、考えるだけでなく、現役時代、実践して有効だったという実感を持っています。 

というのも、子どもたちが授業で深く思考するためには、事前に学習内容をある程度理解している必要があり、それを交流することでより深い理解や思考に達することができるからです。

大人でもそうですが、いきなり問いかけられて、それに対して答えるのが難しいことも少なくありません。いわんや子どもにおいておや、です。

そして、次に問題となるのが、そのような子どもたち、つまり自分なりの考えを持っている子どもたちが、一斉学習の場でどのように参加させていくかということです。

一人学びをしていることで、子どもたちの発言や伝えることは増えます。
この増えるということが、双刃のヤイバとも言え、それが授業を混乱させたり混沌とさせたりすることもあります。

つまり、そのような子どもたちをうまく、コーディネートしていく力が教師にとって必要となってくるのです。

それについても、これまでの実践経験をもとにある程度、定石化しています。
それが、これまでにもこのブログで紹介している、次の7つの働きかけなのです。

1 うながす
2 つなぐ
3 もどす
4 ゆさぶる
5 問い返す
6 せまる
7 意味/価値づける

これらの具体については、拙著「活動する国語」シリーズや、「授業革命」に詳述しています。
ぜひ、そちらもご参照いただければと思います。

これらの働きかけを組み合わせながら、子どもたち一人一人の思いや考えを引き出し絡め合わせて、授業を構成していくのです。

 
ランキングに挑戦しています。
いつもクリックありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。 

「授業革命」より

著者の一番新しい著作である「授業革命」から、その「はじめに」を紹介します。
この「はじめに」を読んで、興味を持っていただけたら、ぜひ、本書をご一読いただけたらと思います。

そして、忌憚のないご意見をいただけたら幸いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  「授業に発問は、それほど重要ではない。発問がなくても授業は成立する」と言ったら、読者の方々はどのように思われるだろうか。きっと、「そんな馬鹿な。発問のない授業なんて考えられない」のような反応が返ってくるだろう。確かに、発問は、教育技術の基礎であり、子どもの学びに不可欠のように捉えられていることが多い。授業を展開するのに発問の流れを考えたり、主発問や補助発問で授業を構想したりする。

 しかし、本当にそれほど重要なのだろうか。もちろん、発問を全くしないというわけではなく、必要な時もある。ただ、その発問に応えている子どもたちの姿は、自主的、対話的とは言えない。なぜなら、子どもたちは、教師に問われないと考えないからである。また、問いかけの主が教師であるため、子どもたちは教師に向かって応答する。教師と子どもの対話になりがちなのである。

 仮に、授業で子どもたちが活発に思考し、発言するような発問ができたとしよう。その発問が、他の授業や教科に活用できるだろうか。それもなかなか困難だろう。授業や教科によって学習する内容が異なり、子どもたちの学びを促すための発問は、その都度異なるからである。

 それよりは、子どもたちの反応が予想と違っていたり期待外れだったりすることの方が気になる。参観日や研究授業などで、用意していた発問に子どもたちが反応せず、反応しないからさらに発問し、どんどん教室の空気が重くなる、そんな経験をした教師も少なくないはずである。そんな時、真面目な教師は、自らを反省する。今日の発問は何がよくなかったのだろうかと。

 もちろん、授業に対する自省的な態度は、とても重要である。しかし、自ら振り返る点は、発問だけではないのである。なぜなら、授業の中では、子どもたちの意欲や態度、学習内容への興味や難易度、学習集団や教師との関係、学習環境との関係など、様々な要素が絡み合って成立するものだからである。特に、様々な関係性やかかわりに着目することで、新たな授業観を確立することができる。

 以上のような発問と、それに応答するこどもたちで展開される授業を「発問―応答」型と呼んでいる。そして、この「発問―応答」型ばかりの授業を展開していては、教師と子どもの対話となるという問題だけでなく、様々な問題を生じさせるのである。

 そこで、それらの問題を解決し、子どもたちの自主的で子ども同士の対話的な授業を展開するために、今回、「参加―構成」型の授業を提案する。子どもたちが自ら授業に参加し、対話を行う。そして、教師は、それらを組み立て、組み上げて授業を構成していく。「発問―応答」型が、教師の発問が先にあって、それに応答する子どもがいる授業であるのに対して、「参加―構成」型では、先に子どもの授業への参加があって、それらを後に教師が構成していくという、「はじめに子どもありき」の授業なのである。その意味からも、「参加―構成」型の授業が、子どもたちの自主的で対話的な授業であると分かるだろう。

 本書では、「参加ー構成」型がどのような授業であるのか、「発問―応答」型と何が違うのか、どのような考え方や具体的な手立てが必要なのか、などをできるだけ詳しく説明していく。時には、授業記録を紹介する。また、単元の流れも示している。「参加ー構成」型の授業が、全ての教科や領域で展開することが可能であり、単元の流れや単元主題などは、全ての教科や領域で紹介している。そして、「参加ー構成」型の授業だけでなく、それを支える新たな教育モデルについても提案する。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
ランキングに挑戦しています。
いつもクリックありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。 

表現の授業

運動会などでは、表現の種目がかなりあると思います。
ダンスなどはもちろんですが、ある意味、見せることを前提としている限り、全て表現だといえます。

表現を作る過程では、子どもたちが表現そのものを楽しむ段階と、見る人のことを意識して作り上げていく段階の、二つがあると考えています。

前者を「ドラマ」、後者を「シアター」と呼びます。
これは、イギリスの演劇教育の権威であるブライアン・ウェイの考え方です。
この考え方に、私も全面的に賛成です。

ともすると、運動会などで見られることが目的になると、表現活動の最初から完成を目指して作ることが少なくないのではないでしょうか。

しかし、それでは、子どもたちは表現することの楽しさを味わうことなく、指導者の言う通りに表現することを求められてしまいます。その結果、表現することを嫌い、苦手になってしまうことも考えられるのです。

そこで、まずは、「ドラマ」の段階では、見られることを意識せず、表現者が表現することを楽しむことを重視します。言い換えれば、表現自体は稚拙であったり見るに耐えないものであったりしてもいいのです。

その表現する楽しさを十分に味わってから、観客を意識する「シアター」へとステップアップすればいいのです。

学校教育で、運動会に限らず、劇や表現活動をするとき、教師はそれらを完全なものにしようと、演出家や監督になりがちです。そうではなくて、子どもたちの表現を支援し、子どもたちが迷うような時に助言するような立場であることが大切なのだと思います。

 
ランキングに挑戦しています。
いつもクリックありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。 

久々の授業…楽しかった!

昨日、ある小学校の校内研修会で、授業をさせていただきました。
国語の授業です。
前回、前々回のブログで紹介した指導案で、授業を実践させていただきました。

やっぱり、授業実践は、楽しい!
その一言です。

もちろん、初めての学級で初めての授業です。
担任している時の授業とは、違います。
それでも、子どもたちの前に立ち、子どもたちと一緒に授業をつくるというのは楽しいものなのです。

今年度、初めての授業実践です。
授業に際しては、事前にいただいている座席表をもとに、子どもたちの名前を覚えました。

そして、実際の授業では、話の聞き方、発言の仕方などを共有しました。
具体的には、前者は、頷いたり首を傾げたりというような態度で聞くことを指導しました。
後者は、賛成意見を続けることについて指導しました。

授業開始では、まず、教材を一人で読み込む「一人読み」の時間をとりました。
テキストに棒線を引くという活動です。
その後、それらを交流するわけです。

久しぶりの授業なので、板書や子どもの意見の受容など、最初はうまくいきませんでした。
少しずつ感が戻ったのでしょうか。
授業中盤からは、いつものような展開が出来ました。

それにしても、子どもたちは、緊張したかもしれなのですが、本当によく頑張ったと思います。
それも、普段から、担任の先生が、細かな配慮と的確な指導を積み重ねて来られているからだと思います。その、日々の営みの素晴らしさを実感しつつ、それを活用させていただきながらの実践でした。

実践内容については、また後日、この時使用した資料などを紹介しつつ記したいと思います。

とにかく、久しぶりに楽しい経験ができたことに、心から感謝をしたいと思います。
 
ランキングに挑戦しています。
いつもクリックありがとうございます。
今日もよろしくお願いします。 
プロフィール

weavingbe

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

タグ絞り込み検索
記事検索
  • ライブドアブログ