「教育実践を語る」服部英雄のブログ

授業のこと,学級経営のこと,家庭教育のことなど,教育全般にかかわることについて,これまでの経験や研究をもとに語っていきたいと思います。

教育評論

教育こそ最重要課題に

教育現場に従事していると,社会の状況に疎くなりがちです。
目の前の子どもたちに集中し,その子たちをどのように成長させていくかということは,現場の教師にとって重要な課題です。

しかし,その課題を社会がどのように受け止め,政治的にどのように改善していこうとしているかということは,また別の問題なのです。

どうも,今の社会的な問題や課題は経済にあるようです。
停滞している日本の経済をどのよう立て直すのかということが,政治的な意識のようなのです。

しかし,日本のような国は,経済的な事も重要ですが,それを支える教育こそもっと重視されていいのではないでしょうか。

先日,全国学力テストの結果が公表されました。
そのことは,一時的なマスコミの話題となりましたが,それ以降,問題となりません。

また,マスコミで取り上げられるのは,いじめの問題や事件を起こした教師の話題ばかりです。本当に,今の教育が,どのような状況で,子どもたちがどのように育っているかということについては,曖昧なのです。

今の日本にとって,経済も大切でしょうが,それよりも教育がもっと大切です。
子どもたちをどのように成長させていくのか,何を学ばせるのか,それが,国の命運を左右すると言っても過言ではないでしょう。

国や政治や経済は,すべて人が作り出すものなのですから。

 


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学校教育はどこに向かうのか

学校教育は,どこに向かって進んでいるのでしょうか。

学校教育が発足した頃,明治時代ですが,当時は先生というのがすごい存在で,地域の人々から尊敬されるような立場でした。もちろん,全ての子どもたちが学校教育を受けられたわけではありませ。それでも,就学率が上がっても,教師の存在というのは,やはり敬われる存在でした。

それは,私の知見では,第二次世界大戦まで続きます。
そのころまでは,先生というのは,すごい人だったのです。

戦後,新教育が発足しました。
新しい,学校教育制度ができ,子どもたち全員が就学するようになりました。
終戦後ですから,さまざまな問題をかかえた子どもたちが,学校に来るようになります。

また,その当時,子どもの数も多く,人クラスに50人の子どもたちがいたということも,よく知られていると思います。そんな中,教師は,子どもたちに共有の知識や技能を身につけさせる存在として,機能するようになっていました。

一度に50人もの子どもを指導するって,一般の家庭から考えると,到底できないことです。つまりすごいことだったのです。ここでも,まだ,教師は,すごい人なのです。

しかし,高度成長期になって,一般の人々の学歴が向上したり,子どもの数が少なくなって子育てが家庭でも専門的になってきたりするに従い,学校の教師の立場は,どんどん下がっていきます。

そして,最近では,教師と対等,あるいはときに教師より上から目線の保護者が増えてきたのです。

なぜ,このような経緯を経たのでしょうか。
それを考えるのに,お医者さんと患者で考えるとわかりやすいと思います。

近代医学が成立したのは,やはり明治時代です。
そこから,医学は進歩していくのですが,お医者さんの立場は,それほど変わっていません。
尊敬まではいかないかもしれませんが,お医者さんと患者の立場は,昔とそれほど変わっていないのです。

それが証拠に,お医者さんに受診して話を聞く時,やはりお医者さんの方が上で,聞く方つまり患者の方が下手に出ることが多いのです。

では,この教師とお医者さんの一番の違いはなんでしょう。
いろいろ考えたのですが,やはり,その仕事の専門性ではないでしょうか。

お医者さんの専門性は,昔も今もあまり変わらないと思います。
一方,教師の仕事の専門性はどうでしょうか。
上述のように,保護者の方の中には,教員免許を持っているが教師になっていないという方や,教師の学歴(学校歴)より上の方もいらっしゃいます。

そうなると,専門性は一般化され,お医者さんの専門性とは異なってくるのです。
つまり,教師は,教育者としての専門性を保持しなければ,どんどんその存在位置を下げていくことになるのです。

現在,学校教育は,さまざまな活動や指導がルーティン化しています。そのルーティンで指導することが,保護者の方々でも可能になってきているのです。ですから,学校の機能は,指導ではなく子どもたちを学校にとどめておく,つまり保育の機能しか残らなくなっているのです。

では,学校が再生するためには,やはり,子どもたちを学ばせ育てる専門性を向上させることだと思います。「さすが,学校の先生,その指導の仕方は家では思いつかなかった」のような保護者の方々の声が上がるように,日々努力しなければならないのです。

 


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教師の評価1

新学期が始まって,ほぼ一ヶ月が経ちます。
この間,担任の先生に対して,さまざまなところから評価がなされます。

実は,担任が決まった瞬間に,担任の先生の話題が,ネットを介して保護者の方々に広がります。
ですから,担任に対する先入観というのは,始業式に決まっていると言えるのです。

そして,ほぼ一ヶ月経った今,いろいろな評価があると思います。
先入観どおりだった,先入観とは異なっていた,大きく二つの評価に分かれるのではないでしょうか。

できることなら,保護者の方々と信頼関係を築き,よい評価のもと過ごしていきたいものです。
しかし,必ずしもそうとは限らないのが,世の常なのです。

先入観がマイナスの場合は,まだやりやすいものです。
なぜなら,スタートがマイナスですから,少しがんばってプラスに転じることはそんなにむずかしくないのです。
しかい,先入観がプラスの場合は,それを維持し,さらにプラスにしていくのはかなり大変です。
 
それでも,仮に先入観がマイナスでもプラスでも,担任が一生懸命子どもたち一人一人をしっかりと育てようとしていることは,保護者の方々に伝わるのではないかと思います。

もちろん,子どもたちに対してもです。
子どもたちに対して,一生懸命さというのは伝わるものです。

ただ,注意したいのは,学校教育以外の場面における教師の活動に対する評価です。
例えば,私も,新任のころ,少女バレーを指導していました。
このような社会体育にかかわる指導に対する評価を,学校教育のそれと勘違いすることも少なくありません。

また,地域の人々との関係性が密接であることも,評価の基準を狂わせます。

大切なことは,子ども一人一人がどのように成長していくかということです。
それに対して,教師がどのような指導をしているか,その成果がどのように現れているかということなのです。

そこを見誤ることのないように,保護者の方々には,子どもさんの姿をしっかり観察してほしいとおもいます。

 


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池上彰の「日本の教育」がよくわかる本2

昨日,紹介した本から,少し考察したいと思います。
それは,「教師の忙しさ」についてです。
そこには,「監視のシステム」と「足し算の教育」という問題があります。

池上さんも先生が忙しいことを,今の日本の教育の問題だと述べています。
また,文科省−都道府県教委−地教委という縦のシステムについてもです。

まず,先生の忙しさですが,これは池上さんも述べているように,さまざまな書類や報告が増えていることも,その原因の一つであることには間違いないでしょう。

これが,縦のシステムと関連するのですが,文科省から調査や通知が都道府県教委に,都道府県教委から地教委へと,地教委から現場の学校へと,下りてくるのです。そして,それに答える形で,書類や報告を現場から地教委へ,さらにという形で上がっていきます。

そして,時には,地教委の検閲を経て,現場に突き返され,やり直しになるというようなことも生じます。結果,現場の先生は,その処理に手や時間を取られ,忙しくなるのです。

この背景には,「監視のシステム」が働いています。
実は,このシステムは,私たちの社会に近年いろいろと取り込まれたり,埋め込まれたりしているものなのです。

例えば,街の監視カメラをイメージしてください。
監視されることで,プライバシーや肖像権など,さまざまな権利をおかされる可能性があります。しかし,一方では,監視されることで,さまざまな安全を確保することものできるのです。

つまり,「監視」という行為は,何かを保障する代わりに,何かを侵害するものなのです。

学校教育にも,この「監視」のシステムが導入され,それが機能しているのです。

では,何を保障しているのか。これは,学校の外部からのクレームから守ることを保障しています。つまり,何かクレームがあったときに,学校ではこれだけやっています,文科省はきちんと手を打っています,という弁明の証拠になるわけです。ある意味,アリバイづくりです。

逆に,侵害しているのは,学校のゆとりや教師の時間なのです。結果,先生が忙しくなるのです。
先生の忙しさは,それだけではありません。

「日本の教育は,常に足し算である」ということです。
これは,何か問題や課題が生じると,それを解決するための教育の手だてや取り組みが増えていくということなのです。増える一方で減ることはありません。

例えば,校内暴力が問題になると生徒指導が,高度情報社会が課題になると情報教育が,その他,性教育,不登校対策,いじめ対策,というようにどんどん増えていくのです。

一方,学校では子どもの数が減り,学級減となっています。ということは,一つの学校の先生の数が減ります。にもかかわらず,教育の手だてや取り組みが増えていくということは,一人の先生がたくさんの課題を抱え込むことになるのです。

これらの問題が重層的に絡み合い,教師は忙しくなるのです。 

 

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池上彰の「日本の教育」がよくわかる本

夏休みになって,ようやくゆっくりする時間が取れました。
そこで,文献講読です。

著者は,池上彰さんです。
それにしても,たくさん本を出されていますね。

これも,子どもニュースを担当されていたときの知見なのですかねぇ。

池上彰の「日本の教育」がよくわかる本 (PHP文庫) 


内容は,なかなかおもしろかったです。よく取材されています。そして,それを分かりやすく文章化されています。

特に,学力低下問題や,教育政策問題,さらに教育改革問題などを歴史的な事実をもとに検証されているのには,本当にすごいなと思います。

例えば,学力低下が本当なのかどうかという議論にもきちんと答えておられます。結論から言うと,「ゆとり教育」や「今の指導要領教育」と「学力低下」の関連性は,これから検討しなければならないということです。 ここでは,全国学力調査との関連も含め,同意できることがたくさんあります。

また,日教組の分析も正しいと思います。その中で,日教組の運動がそのまま教育の問題(例えば,学力低下)を引き起こしたということへの安直な関連性を否定しておられることも,興味深いです。

その他,「いじめ問題」「教育委員会問題」「学校給食問題」「PTA問題」など,歴史的な事実をもとに,解説してあるので,説得力があります。

ただ,それでも,教育関係者ではないこと,社会学的に分析できていないことなどが,やや残念です。

例えば,教育関係者であれば,報告書やアンケート集計などが現場の先生を忙しくしているだけでないこと,教育改革が前進しないことが国,県教委,地教委という縦割り行政のせいだけでないことなどを知っているのです。

特に,後者は,縦割り行政だけでなく,市内の校長会が各校の独自性を制御する役目を持っていたり,教諭の新採用だけでなく管理職採用制度やその結果が,決して教育改革にプラスでないようなことは,分からないのです。実は,ここにも大きな問題があるのですが。

また,社会学的分析では,新学力観の分析が主観的です。
実は,新学力観の登場によって,関心や意欲,態度を評価されるようになり,子どもたちを従順な主体に押し込んでいっているということが重要なのです。その結果,従順になりきれない子どもや生徒が,さまざまな問題行動を起こしているという考察が足りないと思います。

それでも,全体としては,よくできていると思います。
特に若い先生には,大学では教えてくれないような歴史的な事実を本書から学ぶことができるということから,読むことで様々な知見を獲得することができます。

また,年配の先生も,自分が歩んできた教育の背景や歴史を知ることができます。

その意味から,おすすめの文献だと言えます。

 

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