「出来事わけ」「主題分析」の次は、「視点分析」です。
「視点」には、西郷文芸理論の、「視点人物」と「対象人物」があります。
また、井関義久の分析批評理論の、「人称」と客観かどうかを組み合わせたものもあります。
両者について検討していきます。
まず、「視点人物」では、ライオンの「じんざ」となります。じんざから見た男の子、火事の様子などが描かれています。ただ、じんざが火の中に飛び込んでいく場面では、じんざを外から見ていて対象人物化しいます。これは、そのように描くことで、場面の様子やじんざの行動を生き生きと描き、男の子との関係を描写することに寄与しています。
次に、分析批評理論ですが、それで検討すると、「三人称限定視点」と言えます。
これは、「じんざ」という客体に限定して心情などを描写しているということを意味しています。
そうすることで、主題により迫る効果が生じます。なぜならじんざの言動で、男の子との関係が生じ、男の子を救おうとする勇気や心情が描かれるからです。
ただ、最後の段落、第48段落は余計です。この段落があることで、「全視点」とも読めてしまうからです。「全視点」というのは、登場人物全員の心情にまで入り込んでいる視点なのです。この段落がない方が、作品全体に余韻が残ったと思います。
この後、登場人物分析と、レトリック分析を行います。
それは、また、次回以降に記したいと思います。
「視点」には、西郷文芸理論の、「視点人物」と「対象人物」があります。
また、井関義久の分析批評理論の、「人称」と客観かどうかを組み合わせたものもあります。
両者について検討していきます。
まず、「視点人物」では、ライオンの「じんざ」となります。じんざから見た男の子、火事の様子などが描かれています。ただ、じんざが火の中に飛び込んでいく場面では、じんざを外から見ていて対象人物化しいます。これは、そのように描くことで、場面の様子やじんざの行動を生き生きと描き、男の子との関係を描写することに寄与しています。
次に、分析批評理論ですが、それで検討すると、「三人称限定視点」と言えます。
これは、「じんざ」という客体に限定して心情などを描写しているということを意味しています。
そうすることで、主題により迫る効果が生じます。なぜならじんざの言動で、男の子との関係が生じ、男の子を救おうとする勇気や心情が描かれるからです。
ただ、最後の段落、第48段落は余計です。この段落があることで、「全視点」とも読めてしまうからです。「全視点」というのは、登場人物全員の心情にまで入り込んでいる視点なのです。この段落がない方が、作品全体に余韻が残ったと思います。
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