「教育実践を語る」服部英雄のブログ

授業のこと,学級経営のこと,家庭教育のことなど,教育全般にかかわることについて,これまでの経験や研究をもとに語っていきたいと思います。

言語技術

子どもを教え育てる言語技術6—(1)

6 子どもが使う言葉

(1)「オレ」と言わせない

 最近の子どもたちの言葉遣いで,気になることがあります。それは,自分のことを「オレ」と呼ぶことです。これは,男子に限っているかもしれません。また,中学生や高校生などでは,男子生徒が「オレ」と呼ぶことも,それほど不自然ではないかもしれません。

 気になっているのは,低学年,つまり1年生や2年生の男の子たちが,自分のことを「オレ」と呼ぶことなのです。

「昨日,オレなぁ…」
「それ,オレのだ。」

 このような言葉を,小さい男の子が使っているのです。それを耳にすると,「えっ」と思わず驚いてしまいます。

 小さい男の子が自分のことを「オレ」と呼ぶ,このことが気になりだしたのは,今から5,6年前からです。当時中学年を担任していましたが,男の子の1人が,自分のことを「オレ」と呼んでいたのです。そのときは,その子どもだけの習慣かと思っていました。

 しかし,それ以降,男の子が自分のことを「オレ」と呼ぶのをたびたび聞くようになり,今では,1年生の子どもでも,「オレ」と呼んでいるのを耳にするのです。

 この「オレ」という呼び方ですが,できれば,子どもたちに使わせたくありません。なぜなら,自分のことを「オレ」と呼んでいるのは,単に習慣や環境からだけの問題ではないからです。

 もちろんきっかけは,テレビや家庭などの環境的なものだったかもしれません。しかし,自分のことを「オレ」と呼ぶことは,その子どもの心理的な面,行動的な面に,望ましくないと考えられることが含まれているのです。

 まず,心理的な面ですが,やはり,どこか,自分をかっこ良く見せようとしている心理が働いていると思われます。「ぼく」と言うのではなく,「オレ」と言う方が,かっこいいと思っているわけです。また,他の子どもと差異化したいという心理もあるかもしれません。

 そして,より心配なのは,行動面への影響です。

 ロラン・バルトは,言語が人間の行動やふるまいを規定することを「エクリチュールの囚人」と呼んでいます。自分のことを「ぼく」と呼んでいた子どもが,「オレ」と呼ぶようになると,その呼び方が変わるだけでなく,「オレ」にふさわしい行動やふるまいをするようになるというのです。さらに,選ぶ服装などもそれに合ったものに変わっていきます。

 この「エクリチュールの囚人」の理論から,子どもたちが「オレ」と呼んでいることから,それにふさわしい行動,つまりかっこ良くみせるような行動やふるまい,他の子とは違うという行動,さらには,乱暴な行動などをするようになります。

 ですから,子どもたちが,自分のことをどう呼んでいるかということに,大人はもっと注意を払わなければならないのです。

 一方,女の子は,自分のことを自分の名前で呼ぶことがあります。これは,家族や友達に呼ばれている相性をそのまま,「わたし」の代わりに使うのです。

 この呼び方は,子どもの幼さを表しています。あるいは,幼い時代への願望やあこがれを意味していると考えられます。そうすると,先の「エクリチュールの囚人」論に当てはめると,いつまでも幼い行動やふるまいをし続けることになります。そして,これは,子どもの甘えや自己中心的な行動を温存することになります。 

 ですから,女の子の場合は,適切な時期に「わたし」と呼べるように指導するのがよいと思われます。

 子どもたちが,自分のことをどう呼ぶかということは,些細なことのように思われます。しかし,そこには,子どもたちの内面が映し出されており,それが子どもたちの行動やふるまいに影響しているのです。



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気になる教師の言語行為

運動会が近づいてきた学校も多いのではないかと思います。

運動会のような大きな行事が近づくと,教師はどうしても焦りがちになります。
なぜなら,できていないところ,修正しなければいけないところが,明らかになってくるからです。
それらを何とかしなければならないという思いが,教師の焦りになっています。

問題なのは,その教師の焦りが,子どもたちの焦りになっていないということです。
その顕著な姿として,教師の言語行為が変わってくるというのがあります。

例えば,できていないことに対して,直接的な指示を出したり命令したりという言語行為が増えてくるのです。
「〇〇しない!」
「こんなときは,〇〇する!」
「何,やってるんだ!」
などの発言が増えるのです。

これも理解できないことはありません。運動会という保護者や地域を巻き込んだ一大行事に向けて,子どもたちのよりよい姿を見てもらいたいという,教師の願いなのです。

しかし,ここでも,その教師の願いと子どもたちの願いが一致しているかということが問題なのです。

教師が権威的で,子どもたちもその力に押さえ込まれているようなとき,教師の指示や命令に子どもたちは従います。もちろん,従わない子どもたちもいますが,そんな場合は,より強力な権威的な指示や命令で従うようにします。

それでも,このような子どもたちの姿は,子どもたちが本来望んでいる姿ではないように思います。

このような,子どもの外側からの働きかけではなく,子どもの思考や心情に働きかけるような言語行為が重要ではないかと考えています。そこでは,子ども一人一人がどのように考え,思い,それに寄り添いながらの言語行為ができるかということが重要なのです。

このようなスタンスに立つと,子どもたちに簡単に指示や命令を出すことが困難になります。子どもたち一人一人の思いや気持ちに寄り添おうとすることが,短絡的な指示や命令に踏みとどまることを迫るからです。

直接的な指示や命令に変わる,教師の言語行為とはどのようなものでしょうか。

私自身が実践して効果があるなと思ったことを紹介します。

まず,子どもたちへの問いかけです。全体に問いかけるのではなく,個人に問いかけます。
「今,〜しているのは,…だから? それとも…だから?」
「…するには,どうしたらいいと思う?」
のような,問いかけをするのです。

次に,提案です。
「〜してみたら?」
「…というのもいいと思うよ。」
のように提案,提示するのです。これは,子どもたちの腑に落ちる内容なら,子どもたちは自ずと行動するようになります。

最後に,振り返りです。
活動後に,
「〜してみて,どうでしたか?」
「〜には,どんな学びがありましたか?」
のように問い返し,振り返ることができるようにします。そして,その振り返りに,教師が考える価値や意義を説明するのです。これが意味づけ・価値づけになります。

学校教育現場では,子どもたちに対する言語行為が,慣習的,日常的,個性的と,かなり乱雑になっていることが考えられます。これらを教師が振り返り,より子どもたちに寄り添い,子どもたちが安心し,自ら伸びていくような言語を選択,活用していかなければならないのだと思っています。

このような大きな行事に関わらず,日々の教師の言語行為を自省的に見つめ,より子どもたちのためになる言語行為に変えていきたいものです。


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子どもを教え育む言語技術3-(3)

3 ほめ言葉
(3)ほめる・叱るは即効性がある

「そんなことをしてはダメ!」
と,大きな声で叱ることがあります。
 叱られた子どもは,ビクっとしたり,シュンとしたり,泣き出したり,いろいろでしょう。

 でも,ほとんどが叱られたときに,やっていることを止めたり,反省したりするのではないでしょうか。もし,止めなかったり反省しなかったりする場合は,叱り方が悪かったのです。

 ところが,叱られてシュンとなっていても,またしばらくすると,同じ良くないことをしている,叱られたことを忘れたようにケロッとしている,なんてこともしばしばあるのではないでしょうか。

 これは,叱ることの特性なのです。つまり,即効性はあるのですが,持続性がないのです。同じことは,ほめることにも言えます。がんばっているなと心が動いてほめても,次の日にはもうがんばってないなんてことはよくあることなのです。

 この,「即効性はあるが,持続性がない」ことを理解しておかないと,「前にも叱ったのに」「前はほめるほどだったのに」のように,落胆する原因となります。大人の落胆は,子どもたちにとって,決してうれしいものではないのです。

 では,どうすればいいのか。これは,ほめることと叱ることで少し違います。ここでは,叱ることを中心にまとめたいと思います。

 まず,叱る場合を限定します。それは,危険な時です。怪我をしそうなとき,命にかかわるような時です。そして,心を傷つけるような時です。人をバカにしたり見下したり,いじめたりする時です。さらに,嘘をついたときです。

 次に,叱るような状況ではないけれども,注意をしなければならないようなときですが,基本的に話し合います。この話し合いをカンファレンスと呼びます。

 カンファレンスでは,何が問題なのかを明らかにします。そして,その問題を解決するにはどうしたらよいか,その解決に先生(親)は何ができるのか,これらのことを冷静に話し合うのです。

 そして,同じような問題状況で,子どもがどうしているかを観察します。観察して,話し合ったとおりに行動していれば,それを認めることばがけをし,できていなければ当然の結果を体験させます。

 忘れ物をする子どもに注意するときを例に説明します。

 まず,カンファレンスです。忘れ物をする理由や原因を明らかにします。例えば,朝あわてて時間割を合わせていることが原因だとします。その場合,それを解決するにはどうしたらいいだろうと,一緒に考えるのです。そして,寝る前に準備して,朝もう一度確認するという方法を導出したとします。それができているかどうかを観察するのです。

 この観察は,学校でも簡単にできます。忘れ物をしているかどうかをチェックすればいいのですから。そして,できていれば,すぐにほめず,しばらく様子を見ます。そして,かなりできるようになったころに,そのことを認めるようにします。

 一方,できていないときは,当然の結果を体験させます。忘れ物の当然の結果は,困るということです。ですから,簡単に,忘れたものを貸したり補ったりするのではなく,しばらくは困らせます。ある程度困ったところで,当然の結果について確認します。

「ね,忘れ物をすると,こまるでしょ。」
その後に,忘れた物を貸したり補ったりするのです。




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子どもを教え育む言語技術5−(3)

5 自立をうながす問いかけ
(3)利点と不利点

 子どもに限らず,人が一つの行動を選択するとき,その行動には,必ず利点と不利点があります。全て利点ばかりということはありませんし,全て不利点ということもありません。その利点と不利点とが同じレベルにあるかどうかは別問題ですが。つまり,利点が論理的で,不利点が感情的であるということもあるのです。

 しかし,私たち人間は,理性と感情を完全に分離することはできません。近代の哲学では,この理性と感情を完全に分離しようとしましたが,現代では,それは不可能なこととして,とらえられるようになっています。

 このような視点に立ち,理性や感情,正義や倫理,さまざまなものを含み込みながら,利点と不利点が混在しているのが,日常的な行動なのです。

 ただ,そのことを子どもたちは,まだまだ未熟なために理解したり,自省的にとらえたりすることが困難です。もちろん,大人も発達や成熟の途中にあるので,同様に困難なときがあります。しかし,より幼い子どもたちは,なおさらなのです。

 ですから,子どもたちに,その行動の利点や不利点を言葉で説明してやる必要があります。

 例えば,不登校気味で学校に行き渋っている子どもには,登校することの利点と不利点,休むことの利点と不利点を説明します。また,感情的になってすねているような子どもに対しても,そのようにすねていることの利点と不利点,自分の気持ちを落ち着かせて次に進む利点や不利点を説明します。

 その上で,どちらを選択するか,子どもたちに委ねるのです。

 これは,上述のような子どもの困難な状況以外でも,さまざまに利用できます。

 例えば,自らの目標をたてさせるときです。
「漢字のテストで100点をとる」という目標を立てたら,その利点・不利点について考えさせます。
例えば,利点は,「家族にほめられる」「自分に自信が持てる」「次もがんばろうと思う」などが考えられます。そして,不利点は,「家族に叱られる」「漢字が苦手になる」「やる気が下がる」などです。そして,目標が達成されたかどうか振り返るときに,そのときの自分の利点,不利点についても考えさせるのです。

 このようにすることで,子どもたちの意志の力が強くなります。

まとめ
【〜することの利点は…。不利点は…。どちらを選びますか?】


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「自分で考えなさい」

高学年の子どもたちを担任すると,この「自分で考えなさい」という言葉をよく使います。
もちろん,この言葉を発する状況は様々で,この言葉だけで子どもたちが活動し始めるということもあります。しかし,ほとんどの場合,子どもたちは,『何を考えたらいいのか』『どう考えたらいいのか』分からず,活動が停止してしまいます。

教師の意図を理解しきれないのです。

やはり,具体的な指示に変えなければなりません。
まず,「何が問題なのか」考えなさい,です。

教師がこのような指示を出す場合,何らかの問題状況が想定されます。ですから,その問題を,教師が指摘するのではなく,子どもたち自ら気づくということを具体化するのです。

次に,「なぜだか」考えなさい,です。
これは,自分の行動も含め,相手の行動,教師の言動の理由を考えることを促すものです。人の行動には,必ず理由があります(という前提です。もちろんそうでない場合も考えられますが。)いわんや教師の言動には,教育的な意図や根拠があります。それらを考えるということです。

先日も,子どもたちにこの問いを投げかけました。すると,考え始めるのですが,大切なことは,このような問いかけをされなくても,自ら他者の言動にその理由や根拠,意図を考えるということなのです。

そして,「どのように行動すればいいか」考えなさい,です。
人は,その内面でどのようなことを思っていても,それを会話や行動で表現しなければ,他者には伝わりません。これは,先の他者の行動や会話の意図や理由の逆です。つまり,言動をもって,自分の内面を伝えるしか方法がないのです。

これは,ときには「他に方法がないか」考えなさい,となります。
子どもたちがとった言動が,適切であったかどうかという,自己評価を促すのです。そして,次からの似たような状況で,より適切な行動がとれるようにするのです。

子どもたちが考えなければならないことはたくさんあります。そして,ここでいう「自分で考える」ということは,教科の学習などよりはるかに重要なのです。ですから,この力を確実に身に付けさせていくことが,学校教育では重要なのだと考えています。


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