「教育実践を語る」服部英雄のブログ

授業のこと,学級経営のこと,家庭教育のことなど,教育全般にかかわることについて,これまでの経験や研究をもとに語っていきたいと思います。

生活指導

冬休みの生活指導

いろいろな指導方法があると思います。
学校として,「きまり」がプリントされるところもあると思います。
そのプリントをもとに,学級で,あるいは地区別児童会で指導するのです。

しかし,大切なことは,子どもたちの何を指導するかということです。

「交通安全に気をつけよう」
もちろん大切な指導です。

この指導として,「自転車に乗る範囲は,低学年は…。中学年は…。高学年は…。」「自転車に乗るときはヘルメットをかぶる」などが,考えられます。このとき,範囲を超えている超えていない,ヘルメットをかぶっているかぶっていないなどが,指導の観点となり,それについて「超えているのはよくないから超えないようにしなさい」「きちんとかぶらないと自転車に乗らせません」などの指導が行われることがあります。

しかし,もう一歩踏み込んで,どうしてそのような範囲設定になっているのか,どうしてヘルメットが必要なのかを指導しなければなりません。実際問題,決められた範囲で自転車に乗っていても,ヘルメットをかぶっていても,交通事故に遭うことがあります。もし,それに答えられないような「きまり」や「ルール」は,説得力がないので,検討が必要です。

きまりやルールは,それが設定されると,それを守っているのかどうかということが主眼となり,なぜそのようなきまりやルールになっているかということが,省略されがちです。しかし,実際に大切なのは,その省略されがちなことなのです。なぜ,そのようなきまりやルールになっているか,その指導が重要なのです。

登下校の指導で,「きちんと1列に並んで登下校する」というのがあります。これは,自動車から身の安全を守るためのものです。しかし,考えてみると,どうして強者である自動車から,弱者である歩行者が身を守らなければならないのでしょう。本来なら,強者が弱者のために気を配ったり配慮したりすべきなのです。それができないというのは,強者の論理なのです。

その意味で,通学路を見てみると,どう見ても強者の論理で,子どもたち弱者が我慢しなければならないところがたくさんあります。悲しい現実ですが,どうも日本の社会は,強者の論理で構成されているようです。

これらを改善するためには,政治の力を借りなければなりませんが,今の子どもたちに,その強者の論理に対してノーと言えるように,大人になったときに弱者の論理で考えられるように,教育していくことが重要だと思います。

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金環日食

来週の月曜日,金環日食があります。
今年一番の天体ショーです。

しかし,その時間が問題です。
6時過ぎから始まって,9時頃まで続きます。
そして,最大が,近畿地方では,7時30分ごろです。

つまり,子どもたちが登校している,真っ最中なのです。
ですから,登校指導が必要になります。

しかし,本来,このようなめずらしい現象は,ぜひ,子どもたちにじっくりと体験させたいものです。
しかし,それには,子どもたちの登校をどのようにするかという問題が生じてしまいます。

学校によっては,登校時間をずらして,家庭で観察したり,学校で観察したりするところもあるようです。できれば,早めに登校させて,学校で観察したいものです。

学校なら,観察用の遮光板を用意することも可能です。
また,登校中の危険も避けることができます。

登校中の事故が,最近増えています。
京都の亀岡の事故をはじめ,子どもたちが犠牲になっています。

日食というと,ドライバーも興味津々で,運転しながらそちらに意識が行っているかもしれません。
よそ見運転ですね。そうなると,事故への心配もしなければなりません。

やはり,日食の時間帯を避けて,子どもたちを安全に登校させることが必要なのではないでしょうか。
そして,家庭でもいいし,学校でもいいから,日食を観察するというのが一番いいのではないかと思います。

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子どもの言語行為

子どもの言語行為にもっと敏感になって指導したほうがいいというのは,以前のブログにも書きました。
子どもが,どのような状況で,どんな言語行為をしているかに,もっと着目したほうがいいと思うのです。

高学年になってくると,なかなか本音をストレートに出すことは少なくなってきます。しかし,ちょっとした一言の中に,その子どもの本音を垣間見ることができるのです。それは,子どもにとっては何気ない言語行為かもしれません。つい口をついて出た言葉かもしれません。それを見逃さず,きちんと指導の対象としてとらえることが,学級経営や授業実践,生活指導や学習指導をうまくやっていく,教師の力量となっていくのです。

今日の算数の時間,それに当てはまるような場面がありました。聞き逃してしまえば,なんでもない様なことに思えることです。しかし,その発話行為に,その子の内面や心情,思考などが反映していると思うと,簡単に見過ごすことができません。具体的な内容は控えたいと思います。

この言語行為の怖いところは,次の二つです。

一つ目は,他者への影響力です。一つの発話は必ずその周囲に影響を及ぼします。その発話の内面が,からかいや,見下し,嫌悪だったりした場合は,その内面の本音の部分が影響していくのです。そして,そう思っていない周囲がそう思うようになったり,それに同調するものが集まったり,していきます。

二つ目は,自己への影響力です。これは,意外と気づくことが少ないのですが,ある言語行為をすると,それにふさわしいふるまいをするという影響力なのです。つまり,用いた言語に行動が支配されるわけです。例えば,それまで,自分のことを「ぼく」と呼んでいた男の子が,あるとき「オレ」と呼ぶようになったとします。すると,その男の子は,「オレ」にふさわしい服装を着たり,ふさわしいふるまいをしたりするようになるのです。「ぼく」より「オレ」の方が荒っぽい感じがすると思います。すると,ふるまいもそれにふさわしく荒っぽくなっていくのです。

これを,ロラン・バルトは,「エクリチュールの囚人」と呼んでいます。「エクリチュール」というのは,社会的に規定された言葉の使い方を意味します。バルトは,文字言語について述べたようですが,この「社会的に規定された」というのは,言語行為にも当てはまるようです。そして,「囚人」ということは,そのような言葉の使い方から逃れることができないという意味です。つまり,我々は社会的に規定された言語行為から逃れることができないのです。

すると,「ぼく」と「オレ」について考えると,「荒っぽい感じ」というのは社会的に共通のイメージであり,社会的に規定する要因となります。ですから,「オレ」を使うと,荒っぽい行為やふるまいになっていくのです。

これは,「オレ」以外にも当てはまります。ですから,指導の対象となるのです。指導することで,社会が規定するものを理解させることができ,よりよい社会的なふるまいや行為に変えていくことができるのです。

ここまで書いてくると,かなり難しい内容になってしまいました。また,機会があれば,くわしく,分かりやすくまとめたいと思います。

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冬休みに向けて

今日は二学期の終業式,明日から冬休みです。
式後の学級指導では,二学期の学びを振り返るとともに,冬休みの生活指導をします。

学校によっていろいろでしょうが,「冬休みのきまり」のようなプリントを用意して,それを配布することが多いようです。

その内容はというと,学校から子どもの生活を規制したりよりよい生活を促したりしたものとなっています。中には,「そんなことまで…」と思う内容もあったりします。

以前から,この冬休み中の生活指導について考えているのですが,学校が口を出しすぎているように思います。休業日なので,子どもの生活を指導するのは,基本的には家庭だと思います。つまり,子どもの起床や就寝の時刻,外出や帰宅時刻などは各家庭で異なるでしょうし,それをマネジメントするのは保護者のはずなのです。

「先生の言うことはよくきくので,学校で指導してください」
という保護者の話をよく耳にします。しかし,これは考えたら変な話で,親の言うこともよくきくように,日頃から指導するべきなのです。特に,家庭生活にかかわることは,保護者の責任です。

実は,「冬休みのきまり」のようなものがなくても,冬休み中の子どもたちは,学校のまなざしのもとにあるのです。つまり,学校の権力下にあるのです。この学校というのは,担任を含む教師集団,あるいは無意識レベルの学校という意味もあります。また,まなざしというのは,直接見ているという意味ではありません。直接見ていなくても,子どもの意識の中に「先生」や「学校」というのがあるだけで,そのまなざしを意識してしまうのです。

別の言い方をすると,この権力を強化するために,「冬休みのきまり」があるとも言えます。しかし,権力は強化されると権力を行使される側は反発します。

学校の権力を強化しないために,また,保護者の指導を意識化するため,「冬休みのきまり」を親子でつくらせることを実践したことがあります。 

この「きまり」では,「〇〇しましょう」や「〇〇してはいけません」というのを記さず空白にしておき,各家庭で保護者と相談して埋めていくというものです。例えば,「早起きをしましょう」ではなく,「朝起きる時刻…[   ]」のようになっているのです。

もちろん,それで任せきりというわけではありません。親子で決めたきまりを,担任が,チェックします。親子できちんと相談したか,子どもの生活にふさわしいかどうかを見るのです。

学校の指導,家庭の指導,両方の質が向上しなければ,子どもの姿はよりよいものにならないのです。
 
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学期末2

学期末というと,夏休みに向けての生活指導が重要となります。つまり,教師や学校のまなざしの外に子どもたちが置かれるわけで,その意味で教師や学校の権力や権威は薄まるわけです。

しかも,最近の経済状況から,共働きが増え,両親の目もとどかなくなる分けです。したがって,子どもたちの問題行動が増えると考えられるのですが,教師が,学校が,そのことにどこまで関われるのかという問題が生じます。

各家庭の意識としては,相変わらず,学校の指導に期待するのですが,そのことが家庭教育を弱体化しているとも言えます。つまり,夏休みこそ,各家庭の教育力を復活し,子どもたちの学習を含む生活に責任を持ってもらうようにしなければならないのです。

学校に期待しているいい例として,各学校の『夏休みのきまり』があります。呼び方は,それぞれでしょうが,どこの学校にもあると思います。その内容は,けっこう細々していて,『自転車で遊びにいける範囲』や『子どもだけでは大きなショッピングセンターに行かない』など,学校が規定するのです。

しかし,これらのことは,本来,各家庭で保護者の方々が主体となって,子どもたちと相談して決めることなのです。

そこで,夏休みのきまりも,家族で決めるきまりに変えていかなければならないのです。

例えば,「テレビを見る時間」「朝起きる時刻」「家に帰る時刻」「遊びにいける範囲」などは,それぞれの家庭で決めるべきことなのです。

具体的には,そのような項目を設定したプリントを用意します。そのプリントを子どもたちは家に持ち帰り,家族と相談して,決めたことを記入してきます。それを学校で確認し,それを実行できるように指導するのです。

こうすることで,各家庭の指導力も高めながら,学校の指導も十分できるようになるのです。

これまで,学校は,様々なことを請け負いすぎてきました。家庭に返すことができることは,家庭に返すようにした方がいいと思っています。

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